◆リラ物語9(愛について5)◆

 

例えば自分の大切なパートナーや伴侶との時間にさえいつか必ず変化が訪れます。

どれほどお互いを必要とし受け入れてきた二人であろうと、最後は人生の終焉によってお互い離れ行くものです。

 

 

あるいは相手の「心が離れて行く」ことも無常の一つの有り様なのです。

 

私たちはその無常が天の摂理であることを魂は理解しているからなのでしょう、恋人たちは永遠の愛を求め、伴侶とは永遠を誓う契約書に神父や神職の前で署名をしてきました。

 

宇宙の摂理において永遠の”誓い”は無効でもあるという事を魂は知っています。

そしてその事実は、潜在意識の奥深くにしまいこんでいても、表層の自分にもうっすらと感じ取れてしまうものなのです。

だからでしょう多くの人は法的な力を持つ「結婚”契約”制度」に希望を託してきたのかもしれません。

 

そして失うことを恐れるあまり、その恐れがやがて執着を生み、やがてエゴという意識を知るようになります(その時点では自分の持つエゴには気がつきません)

 

相手を過度に想いすぎてしまい、失うことを恐れて行けば、その恐れによって自らの周波数に混乱を生じさせ、それによって起こってくる苦しみという体験を私たちは学習して行きます。

恋愛というものの最大の学習効果は、まさにここにあると言えるかもしれません。

 

ここで知る恋愛の苦しみや体験さえも重要な体験学習という理解をすれば、周波数に不調和を生じさせねばその経験ができないということなのです。

エゴもまた重要な3次元でのカリキュラムでもあることなのです。

 

でも、だからと言って

「どうせ人の心など変わりゆくもので信じることなどできないよ」

と言った決して投げやりな、後ろ向きで投げやりな意識ではありません。

 

留まることなく全ての事象は変化して行くと言うとても単純な天の摂理を多くの人との出会いと別れから理解して行くということに他なりません。

 

人の体は物理的に拘束することはできても心(魂)は縛り付けることはできません。

しかもすべての魂は誰にも拘束を受けず自由であるということを理解していれば、例え心から敬愛し愛するパートナであっても、時として永遠は存在しないという事もまた天の摂理のうちでもあることも理解に及ぶでしょう。

 

逆に言えば

「今、私はあなたを愛しています」

「昨日でもなく、明日の約束でもありません」

 

この意識にこそ全てが集約されるでしょう。

 

明日を憂い、明日の不安の中に生きるのではなく、今という刹那を精一杯生き、そこにある幸せを享受することが真の幸福であると言う事になりましょう。

 

明日のことなどわかりません、しかし明日を想像(想像)することはできます、そしてその明日はいまの自分のありようが(因果律として)投影し、作り出されて行く明日です。

この人生はあくまで自分個人の時空であり、その流れに例え家族であってもその時間軸に組み入れることはできません。

 

生涯を仲睦まじく終えた夫婦であっても、個という時空はそれぞれに存在しています。

相手のすべての時空にはに踏み込まないという不文律を理解して行くことが、仲良く暮らす夫婦の秘訣なのかもしれませんね。