◆リラ物語2(リラの哀愁2)◆

 

「哀愁」と言う言葉が示す通り、リラの人々は集まり、グループ、集団、付和雷同、所属、そうした言葉が表す「生温い感性」を持ち合わせていません。

遥かな太古リラが崩壊する時、そこを故郷としていた人々はいくつかの選択を迫られました。
この天体が3次元の周波数から5次元を超え7次元あたりに差し掛かる頃、天体の終焉を迎える時となったようです。

彼らは故郷が無くなる、帰る場所が消滅してしまうという想像もできない程の悲しみの中に追いやられることとなりました。
しかし天の摂理の前に、避けることの出来ない非情なまでに過酷な現実として人々はそれを受け入れました。

その際いくつかの意識を持つグループに分かれることとなりました。

 

●グループA

このグループはリラの中でもやや過激な行動派で、この現実を極めて不条理との思いを持った人々でした。

彼らは同じ琴座のヴェガに移り住む(移住)事を希望し、ヴェガその希望が受け入れられました。
しかし彼ら過激なグループはヴェガの中のダークサイトと繋がってしまい、やがてオリオン大戦にダークサイドとして関わるという道に進んでしまいました。

 

●グループB

このグループはリラを離れることを良しとせず、この星の崩壊とともにすることを選んだグループです。

星の崩壊とともに、肉体(炭素体ではありません)を持つ彼らもこの星の運命とともにし、宇宙のチリとなってゆきました。

でも生き残る事の過酷さから離れることができたのですから、ある意味このグループが一番幸せだったかもしれません。

 

●グループC
さて残りの大半。穏やかで、女性性のエネルギーを持つ人々は彼らの高度なテクノロジーにより、月より大きな惑星ともいえる人工天体を作り、そこを故郷として宇宙の流浪の旅に出ることとなりました。
しかしその過酷なまでの試練は並大抵のもではなく、女性性を持ちながらも彼らは鍛えられ、試練をくぐり抜け、天の摂理に抗う事なく生きてきました。

そのためグループCの人々は流浪の民の「哀愁と切なさ」が彼らの持つ一面となったことは想像に難くありません。

長い年月の後、やがて地球の創成期に太陽系にたどり着きます。

そして、天のシナリオ通りに地球がいずれ体験する次元移行に備えこの地球で人類として生きることを選択し、その日々が始まりました。


しかしその人口惑星に住むすべての魂が地球人類として転生することはもちろん不可能です、また暗く重いこの3次元地球に人類の肉体を着て生きることの不自由さ(危険も伴います)から、気楽な思いで地球に降り立つ事は出来ませんでした。

先ずはこの地球の地質に対し、自分達の出来ることで貢献しようと願い、そうしました。


しかし天空からそれを行うだけでは不十分でしたので、人類として地上でそのワークに従事する人の志願者を募り、それに手を挙げた人々がこの世界に降り立ってきたのです。

地球に降り立った彼らは高い女性性を持っていたため暴力や過激な行動に出ることができません。

そのため今までにいくつもの魂がネガティブエネルギーに晒され倒れて行きました。


それでも相手に対する憎しみや怒りを向ける事なく、静かに自らの気配を消し去り、苦悩の日々を(何世代にもわたって)生き抜いてきました。
自分を攻撃しようとするもの、迫害し鞭打つ相手であっても決して反撃や防御、怒りを見せることはしませんでした。

しなたかったと言うより出来なかったのです。

そうした過酷な日々を送ってきたリラの人たちは、外に助けを求めることをしませんし出来ません。

優しさや温もりを求めようともその方法も知らず、それよりも自分からそうした思いを抱く術さえ持ってはいませんでした。

グループを作ることもなく、集団を避け、仲間を探すこともなく孤高の日々の中にありました。


暗く狭い、寒い穴蔵のような場所であっても、忍耐強く、声も上げす、しかし絶望や自暴自棄には決してならず、まるで人も通わない高い山の奥にひっそりと佇む湖の底で息を潜めるように、この社会の中で人に見られないよう、探されないよう、知られないよう生きて来たのです。

 

やがてくる地球次元の上昇の時まで。

それほどまでに過酷な日々を生き抜いて来たリラの魂を持つ人々は、この3次元で行われている体験学習が時には生ぬるく、時には子供じみて見えてしまうため、どうしても学習者が抱く痛みにや思いに寄り添うことができません。


しかし、そう感じたとしても、それもその人の体験学習と分かっていますので、決して人を低く見ることもなく、ましてジャッジや批判などする事はありません。

「人はいずれ死ぬものです、何故それほど生にしがみつくのですか?」
「名を上げ人に褒められること、我欲を持つこと、野心的でいることに何の意味があるのですか?」
「一人っきりで生きることを何故それほど恐れるのですか?」

こうした意識は天の摂理を理解したからこそ持てるわけです。
そして魂を鍛え、過酷な日々を送ってきたものが獲得した ”真実” でもあります。

しかし体験学習の場で生きる人々にとってリラの人たちのその ”達観” は理解を超えています。


だからでしょう、リラの人たちは人から情の無い冷たい人と思われたり、人に対して強い興味を示しませんので、時には疎まれたり怪しまれたりもしてしまいます。
しかしその哀愁の日々をすごしてきたリラの人たちは真の愛(全てではなく愛の一つの側面として)とは過酷で、厳しく、切ないものであることも十分に理解しています。
哀愁の先にある真実に辿り着いたのが、この地上で生き抜いてきた彼女たち「リラ」なのです。

しかし決して人生を、生きることを諦めてなどいませんでした。
やがて来る日を気の遠くなる日々の中で待ち続けていたからです。
そして今、その時となりました。

今まで眠っていたリラの人々は、自分の中にある真の情熱と願いに気がつき始めています。
女性性の解放は新しい次元の有り様を示しています、ですからそのために生き抜いてきたにリラの悲願なのです。