◆リラ物語4(女性性について2)◆

 

男性性の世界では天下国家を論じることが、さも優れた意識、世界のための重要な視点と捉えてきました。

これが今までの3次元的意識の基礎となるものでした。

 

一方女性性は自分の知らない世界にまで視野を広げるより、自分を取り巻く手の届く世界への視線を持つのが女性性の特徴です。

 

「ニュースはあまり見ません、新聞は読みません、今世界でどんなことが起こっっているのかはあまり知らないのです」

 

実はこうした状態が3次元から離れるために、とても重要なのですね。

 

なぜなら今までの世界には作為と悪意を持った報道が蔓延していました。

また宗教や教育の名の下に、どれほど間違った(もしくは嘘の)情報が伝えられてきたかを知れば、世界の情勢や社会事情を知らないということがすなわち無知と言えることではないのかもしれないのです。

 

報道や教育の中に、悪意を持ったエネルギーが注がれていても、論理性を前面にそれを受け取ってしまうとそこにある負のエネルギーが理解できずに、意識誘導にかかってしまいかねないのです。

でも「勘」を頼るような判断や、知識が不要なその場だけの判断は、逆に言えば報道に添えられた意図的な負のエネルギーから知らず知らずの内に、誘導から離れ、自分を守っていたかもしれないのです。

 

なぜ新聞を読まないのでしょうか?

なぜニュースを見聞きしないのでしょうか?

 

「だって興味がないし、面白くないし」

 

そうなんです、これこそが最強のプロテクト能力なのです。

知らず知らずの内に負のエネルギーに近寄らない。これが女性性の能力の一つでもあるのですね。

 

「だってつまんないんだもん」

「怖いし、気持ちが萎えるんだもん」

ここに秘められた自らを守る力を信じていただけますか?

逃げるが勝ちのリスク管理です(笑)

 

「世界を良くするために天下国家を論じ、時事について見識を極め、論客として人々に啓蒙をして行く」

こんな大仰で偉そうな言葉を聞いていたら頭痛くなりません?

 

一見優れた見識や行動に見えるこの男性性の「行動が全然伴わない」言葉の数々。

 

結局はこうした「お言葉」はテレビ討論会や壇上でお話ししている卓上の論理でしかなくて、結局1万年以上もの長い歴史の間、声高に伝えてきていても、この世界を変える力にはならなかったのです。

 

報道も教育も社会構造も、もし仮に作為ある何者かにコントロールされているのであれば、その社会性の上に成り立った難しい政治の議論ほど虚しいことはありませんね。

 

また仮に社会の不条理を唱え、その自分の言葉通りに行動したとしても、家庭や身の回りにもしっかりとフォーカスして行けるかがとても重要なバランスでもあります。

 

地球はまだまだ次元移行の過渡期ですが、皆さんお花畑のような日々を送っているわけでは無いでしょう。

自分の身の回りにだって天下国家を憂うに匹敵する問題があるかもしれません。

それを見ようとしないで、天下国家は如何なものかと思うのです。

 

自分だけの問題は皆抱えて生きていて、だからと言ってそれを抱えていることが、必ずしも周波数の高さに影響することではありません。

 

自分や自分を取り巻く世界に課題がやって来るのは自分の周波数が低いから?

そうした課題を完璧に解決でききる自分が周波数が高いの?

 

いえいえ、そうでは無く、そうした課題は自分が進化して行くための大切な設問なのです。

問題や苦しみ、痛みが自分にやって来るのは自分の周波数が低いからと思いがちですが、決してそうではないんです。

 

そうした課題と面と向かっった時、それをどう解釈し、どう意識を向け、その中から自分とは何者なのかを知り、そしてそれを原動力として前に進んで行く。

これが自分の周波数を上下させて行くことなのです。

進化するために生まれてきたのですから、進化するための学習をしている。

それが今ここに居る大きな意味の一つでもあるのです。

 

また権威や名声に固執する男性性は、どうしてもこの世界にヒエラルキーを形成しようとしてきました。

上下関係や報酬・蓄財の大小、自分の所属組織の大きさや役職や肩書き。

こうした判断は、確かに順位付けがしやすいので他者との区別化や、差別化にうってつけです。

 

でも、これらは全て上辺(身にまとっている服のようなもの)だけの価値でしかなくて、裸になった時の自分の価値ではないですよね。

 

人の価値を決める物差しになるエラルキー意識は、管理社会や経済社会の中では自分というものを保つためには役に立つかもしれません。

だからでしょう、一旦権威の場所から自分が離れた時、自分という存在をどのように見ればいいかがわからずうろたえ萎縮してしまうことにもなってしまいます。

 

一方家族や自分を取り巻く人々、環境にフォーカスをして生きる女性性は、そうしたヒエラルキー構造の枠から離れていますので、判断基準も極めて私的(自分本位)で、体験もしていないし有りもしない危険や恐怖、不合理に心奪われることなく、目の前にあるリアルな事象に集中してそれを解決して行こうとする方もいるでしょう。

 

この行動こそが世界の変化に繋がって行くのです。

これお分かりになりますか?

 

天下国家を口にするより、自分を取り巻く環境の中で、自分の幸福や安心を築いて行くことが、次元上昇?

そうなんです!

 

自分の世界・目の前の世界

その幸せの強力なエネルギーは、更に自分の周りに伝わって行き、更に大きな幸せの輪を広げて行き、やがて自ら住む社会へも世界へもそのエネルギーが「感染」して行くのです。

 

この意識がしっかり腑に落ち自分のものとなった時、自分の世界が変化して行きます。

これこそがリラの持つ「強大な」力なのです。

 

リラのエネルギーには「戦い、争い、駆除、殺戮」という概念がとても薄く、問題を暴力や戦争で解決しようと思う意識が希薄です。

と言うことは女性性のエネルギーをこの地球にもっと送り出すことができれば、暴力的なエネルギーで解決する男性性から優しさを持つエネルギーに変えて行けると言う事なのです。

 

戦争を口にする者たちも皆「お母さん」から生まれて来ています。

我が子を命の危険がある戦場に送り出し、しかもよそ様の子を殺して来なさいと願う母がどこにいるでしょうか?

 

これこそが真の女性性の重要な部分なのですね。

 

だからこそ長い歴史の中で、こうした強大な女性性のエネルギーを恐れた為政者や権力者、宗教指導者が女性を蔑視し、低く劣ったものとして押さえつけてきたことは明白です。

中世ヨーロッパで行われてきた「魔女狩り」も、精神性の高い女性や、覚醒を迎え始めた女性たちを排除するための行動だったことは間違いないことでしょう。

 

よく言われることに「女性が元気で明るいところは、栄える」と言われています。

この栄えるということは、必ずしも経済的なことだけを指すのではなくて、心の平穏や地域の平和、安らぎと笑顔という掛け替えのない財産を意味するはずです。

 

争いや諍い、恐怖や怒りのある世界で語られる「平和」など唇寒い虚言でしかありません。

 

誰もが「平和って何?、どういう意味ですか?」

 

そう思い始める事、これこそが真の平和が ”完成” した世界だと思うのです。

平和であることが大前提の世界では平和を願う意識も言葉も口にすることなくその世界に生きる事でしょう。

完全に新しい次元に完全移行した時には、この地球から「平和」と言う言葉は辞書から無くなって行くかもしれませんね。

 

そしてその世界に向かうためにはリラの持つ

○慈悲(子への慈しみ、生きとし生けるもの全てへの慈愛、自然や動物たちに寄せる温かい眼差し)

○愛(文字通り目の前にいるパートナー・・性別・年齢・国籍も関係なく、それが動物であっても・・と共に愛を語りあう)

これが、新しい世界に向かう追い風となる筈です。

 

でもこうした「慈愛やラブパワー」は表面的な仕草や言葉使いを意味するのではありません。

また生き方やライフワーク、その人の嗜好や趣味、言動で判断するものでもありません。

 

喧嘩っ早い人であろうと、口が悪く辛口であろうと、女性であっても男前であろうと、真の慈愛はそうした表層で判断できるものではなく

胸の奥、ハートの輝きと温かみこそが「女性性」なのです。

 

ですから性別で判断出来る事ではありません。

女性であっても強い男性性を持つ方も、男性であっても優しい女性性を持つ人もいます。

 

 

世界のエネルギーが真の女性性に目覚め、緩やかに変化して行く世界こそが新しい次元への進化の証しと強く感じています。